PIGLIN KING
第四巻 ささやかな日常と小さないたずら
第一章 庭園でのお茶会
王国歴十四年。
エンダードラゴン戦争から、半年。
ネザーに季節はない。
それでも、世界には、確かに「変わった」と呼べる何かがあった。
戦のない日々が積み重なるにつれ、人々の表情から、強張りが抜けていった。それは、まるで長く握り続けていた拳が、ようやくほどけるような変化だった。
王都 GOLDEN BASTION。
王宮の庭園では、ネザーには似つかわしくないほど、色とりどりの花が咲き誇っていた。
グロウベリーの蔓が石垣を這い、淡い光の粒を実らせていた。風のないはずのネザーで、それでも花弁だけが、わずかに揺れている気がした。小鳥――いや、正確には小鳥に似た何か――のさえずりが、噴き出す光のあいだを縫って響いていた。
平和とは、こういう音のことを言うのかもしれない。
「平和ってのは。」
「いいもんだなぁ。」
スターリンは椅子に深く腰掛けながら、目の前に積まれた山のようなケーキを、まるで遺跡の罠でも見るような真剣な目で見つめていた。違うのは、彼が今、攻略すべき相手を心の底から愛していることだった。
「君はさっきから食べてばかりだ。」
ピックバーグは紅茶を一口含み、苦笑した。眼鏡の奥の目は、相変わらず何かを観察し続けていた。今日に限って言えば、観察対象はスターリンの食欲という、いたって平和な研究テーマだった。
その向かいで。
KING PIGLIN I。
Aurex Goldtusk。
黄金王は、頬に風を感じるように、ただ静かに空を見上げていた。
「静かだね。」
「昔じゃ、考えられない。」
「そうだな。」
スターリンも、ケーキを頬張りながら頷いた。
「昔は毎日、誰かに追いかけられてたからな!」
三人は、声を揃えて笑った。
戦争。
旅。
建国。
数え切れないほどの出来事を、共に乗り越えてきた。失ったものも、得たものも、数えきれないほどあった。
それでも。
こうして三人で笑い合う時間だけは、何一つ変わらなかった。
あの路地裏で初めて手を握った日から、何年が過ぎても。あの炎の夜から、何度季節のないネザーの時が流れても。変わらないものが、確かにここにあった。
「失礼します。」
若い侍女たちが、お茶を運んできた。湯気が、淡い橙色の光の中で、ゆっくりと立ち上っていた。
「本日の茶葉は、王立農園産でございます。」
「ありがとうございます。」
オーレックスは微笑んだ。
王立農園――かつて、橋の落ちた村で、子供たちが泣いて喜んだあの土地の、今の姿だった。あの時の子供たちは、今、茶葉を育てる側に立っているのかもしれない。そう思うと、湯気の向こうに、小さな歳月が見える気がした。
すると。
「陛下ー!」
庭園の入口から、子供たちが、わらわらと走ってきた。
「一緒に遊んでー!」
「かくれんぼしよう!」
「鬼ごっこ!」
それぞれが、てんでに違う遊びを叫ぶものだから、まるで小さな嵐が庭園に押し寄せたようだった。
「おお!」
スターリンが、真っ先に立ち上がる。
「俺も混ぜろ!」
「なんで君が行くんだ。」
ピックバーグが呆れる。
「はっはっは!」
「子供は元気が一番だ!」
大斧を振るう将軍が、子供たちに追われて庭園を駆け回る光景は、誰がどう見ても、奇妙だった。しかし、誰もそれを止めなかった。むしろ、その奇妙さこそが、今の平和を、誰よりも雄弁に語っていた。
しかし。
その喧騒の中、一人の小さな女の子が、そっとオーレックスの服を引っ張った。
「王さま。」
「どうしたの?」
オーレックスは膝を折り、女の子の高さに目線を合わせた。
「えっとね。」
少女は、何かを決意したように、深く息を吸った。
「いつもありがとう!」
そう言って、花を一輪、差し出した。グロウベリーの蔓から摘んだのだろう。小さな手の中で、花弁が淡く光っていた。
「これ。」
「プレゼント!」
「……。」
オーレックスは、目を丸くした。
そして、優しく受け取った。
「ありがとう。」
少女は、嬉しそうに笑う。
「えへへ!」
その光が――小さな花の光なのか、少女の笑顔の光なのか、もう分からなかった――胸の奥に、静かに沈んでいくのを、オーレックスは感じた。
鍛冶屋の槌の音を聞くたびに、父の手を思い出す。
それと同じように、これからは。
誰かが無邪気に笑う、その瞬間を見るたびに、この花を思い出すのかもしれない。
その様子を見て、スターリンはニヤニヤしていた。
「おいおい。」
「陛下、泣くなよ?」
「泣いてないよ。」
「目から水出てるぞ。」
「泣いてないって!」
三人は、また笑った。
平和。
それは、戦争に勝つことではない。
誰かが笑顔で、「ありがとう」と言える世界。
それこそが、オーレックスが、剣を振るうたびに、橋を架けるたびに、守りたかったものだった。手にした冠が軽かったのも、きっと、この程度のことのためだったのだと、今ならそう思える。
夕暮れ。
庭園には、オレンジ色の光が差し込んでいた。溶岩の赤とは違う、もっと柔らかな色だった。子供たちの影が、長く伸びて、石畳の上で重なり合っていた。
「さて。」
スターリンが立ち上がる。伸びをすると、骨の音が小さく鳴った。
「次は何する?」
「仕事。」
ピックバーグが即答する。
「えぇー。」
「今日は休みじゃなかったのか?」
「君だけだよ。」
「休みだと思ってるの。」
そんな、いつもの軽口を交わしていると。
親衛隊の若い兵士が、駆け寄ってきた。鎧の音が、慌てた足音に合わせて鳴った。
「陛下!」
「王都東地区の警備報告です!」
「あ、ありがとう。」
「ご苦労さま。」
オーレックスは、紙を受け取りながら、にこやかに頷いた。
兵士は、緊張した顔で敬礼した。
「は、はい!」
その背中が小さくなっていくのを見送りながら、スターリンの目が、何かを思いついた子供のように、すうっと光った。
「なあ。」
「面白いこと思いついた。」
「嫌な予感しかしない。」
ピックバーグは、即座に顔をしかめた。長年の付き合いが、こういう時だけは正確に働く。
「へへへ。」
スターリンは、肉汁のついた口元を拭いながら、にやりと笑った。
「明日。」
「王様と兵士を入れ替えてみねぇか?」
「……は?」
オーレックスは固まった。
「君は何を言ってるんだ。」
ピックバーグも呆れた。
しかし。
スターリンの目は、悪戯を思いついた子供のように、いつまでも輝いていた。
その奥には、もう一つの思いがあった。
誰よりもオーレックスのそばで戦ってきた友として、彼は知っていた。
王という冠が、どれほど重いものか。
だから、たまには、その冠を下ろした時間が必要なのではないか――そんな、らしくない優しさが、その悪戯心の裏側にあった。
もちろん、本人がそれを口にすることは、絶対になかった。
そして。
この思いつきが、思いもよらない一日と、運命の出会いへと繋がっていくことを、まだ誰も知らなかった。